
ることがあります。 それは何かと申しますと、現在世界の食料は、地球上の人口の持っている能力を発揮してその生産が行われているわけではありません。まだ潜在的開発余地を残しながら生産の調整をしています。特にそれは、生産の潜在的開発余地を持ったいわゆる先進国です。その中には、アメリカ、あるいはEUと日本も一部入るかもしれません。 日本は国際的に非常に高い米の価格を維持しながらも、その米の生産は増えていません。ブラウン氏の説明は、この日本の例をもって、値段を高くしても食料の生産の増加の可能性が少ないということの理論づけにしています。しかしこれは間違いです。日本では、生産制限をしています。同じくアメリカでも生産制限をしています。EUにおいても生産制限をしています。この政策については批判されるべきところがありますが、各国が持っているその潜在的開発余力を考慮に入れれば、高い価格で食料が販売できるということになった場合に、その生産の増加は確実に実現するはずです。このことから、ブラウン氏のこの説明に対しては批判的なコメントをせざるを得ません。 それにしても将来について不安定な条件が残ることはいうまでもありません。具体的な例としては、1973年に短期的にアメリカで一気に小麦の値段が3倍に上がりました。それは、その年の秋に起こった、いわゆるオイルショックと、オイルショックによる物価上昇の結果として生じました。オイルショックは日本の経済だけではなく、世界の経済を撹乱したわけです。ただし、食料については日本は、日本の消費する総飼料の100%をアメリカから輸入していました。その輸入が半年ほど半分に削減されたのです。 このように、地球上に食料があれば、すべての国が同じようにその供給を受けることができるかというとそうではありません。食料も一種の国籍を持っているということに注意しなければいけないと思います。この国籍がなくなる、つまり、食料が不足した場合において、世界中のすべての人口が同じようにその不足に我慢し、対応をするということになれば別ですが、そうではない。従って、関係の国々としては、自らの国を守ることにまず基礎的な努力をしなければいけないという面があるということになります。 その点において、すべての国がアメリカと同じような農業資源・生産条件を持っているわけではありません。 それぞれの地域・国によって気温、温度、雨量が違い、面積が違います。食料の供給において有利な条件を持ったところと、不利な条件を持ったところに当然分かれます。所得の低い途上国、農業資源の少ない途上国は、非常に大きな負担を背負わなければならなくなります。こういう国に対しては、国際的な協力が必要であると考えます。
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